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K's desk

サークルの後輩、インターン先の同世代社員などに情報を財産として残せたらなと考え開設しました。玄人というよりは、事業をこれから行う人とか知的産業に今後関わっていくとかまだ頭に汗をかいていない人が、壁にぶち当たった時に読んでもらえればと思います。将来の自分に向けて、余裕ができたらマインド的な部分で自分が何を考えていたのかなども残せればいいですが、基本的には他者に公開する必要性がなければevernoteなどに保存しているので、ここで公開されている記事は誰かしらのニーズに応じて書いている内容になります。

知る力と考える力(10分で書くブログ)

このブログは、10分で自分の思考をまとめるというテーマで書いたものです。
まだまだ不慣れで、投稿の質が低いかもしれませんが、どうかお付き合いください。

テーマ:「知る力と考える力」
1)要するにこんな感じ:
2)Why So?:
3)So What?



1)要するにこんな感じ:

高めやすい力は「知る力」、短期的にステップアップしやすく、指標を定めやすいため。
一方で、「考える力」は明確な変化が少なく、そのため継続して行っていくことが困難。もしくは漠然としがち。
しかし、簡単に力をつけやすいものは、役にたたなくなるのも早い、もしくは他人も力をつけやすく、
優位性を発揮・維持しづらい。
このように、「思考能力」「頭の良し悪し」のように一言でくくるのではなく、2種類の異なった能力として判断する必要がある。


2)なぜそう感じた(→できればWhy So?まで):

現在、新入社員一年目で研修の真っ只中であり、そこで求められる事の目標の立て方にもやもやしたため。
求められているのは大きく「業務の対象となる資格の取得」と「社会人基礎能力の形成」。
しかし、自分が日々何を学んでいるか、定量化することが難しいことに気づく。
結果を出さなければいけない中、自分の現在地をしっていないことは、かなり不利。
学生のように、自分のペースで成長すればいいのではなく、求められたものに対して、少しでもストレッチしつつ対応する必要があり。

よって、まずは「知る力」、「考える力」を区別する。

具体的には
「知る力」=答えがある、指標が明確(点数、資格の合格不合格)、時間とある程度成果が比例する、
これらから、重要視すべきは効率と如何に記憶の定着を促すか。戦略を立てやすい。

一方「考える力」=地道、成長が測りづらい、時間が経てば伸びる力ではない
よって漠然としたものとしがち。
近道としては、フレームワークなど考える力に優れた人に思考体型を合わせることがひとつの対策。
しかし、これまた理解能力と表現能力は別のスキル(インプットとアウトプット)のため、
個々で伸ばしていく方法を深堀していかなければならない。


3)So What?

単純に「頭の良さ」という切り口で見ていては、1年後の自分のスキルディべロップメントも考えられないということ。
私にとって今年最も重要なのは「今後10年以上第一線で戦っていける能力を如何に早く身に付けるか」
20年後の能力はもっと高い水準のものの、まずは社会人10年目の人くらいの「知る力」、「考える力」を一年目に
付けるにはどうすればいいのか。
「頭の良さ」

・「知る力」
・「考える力」
に細分化



本来は今後の行動指針まで立てるべきだろうが、10分のアラームがなったので、いったんここまで。

【追記】2017/04/16/12:03
まず土俵に立つには「知る力」も「考える力」も必要。
本当はもっともっと言語化したい事項があるんだけど、そこまで余裕がない。
研修は時間通りに終わるから、研修だけこなすなら余裕あるんだけど。笑

ミクロレベルの方法論に対する気づき (4/4)

前回の続きとして、なぜ私は本人たちの言論により変化のきっかけを生むことを
最重要項視しているかに関して説明して行きます。

ここでは、私の東ティモールでの活動の経験をベースにしているため、
他の組織には当てはまらない点が多くあるかもしれません。

まず、最も外部から支援として行う組織(私が属すグループでは支援というアプローチの失敗から人材面や文化面での交流など関係性を重視した活動にシフトしています)が起こしがちな過ちとして
・日本人が持っていくプランはしばしば複雑で難解である
という問題があります。
プランを完璧にしようとして、細かく練れば練るほど、それらを当事者たちに伝えることは
難しくなります。
また、ありがちな課題としてそもそも
・言語面や文化面でコミュニケーションが完璧にはならない
と言ったものがあります。程度の差はあれど、日本で日頃生活している際の会話のレベルで
それぞれの意思の伝達を行えていることはないと思われます。

以上の要因により、当事者たちにより必要性を認識し、言論をはじめ、変化へのプランを
立ててもらう方が、プランの実行までの時間は多くかかるかもしれませんが、確実に
実行がスムーズに行ったり、後から気づく意思伝達の齟齬も生まれないはずです。
また、当事者意識や責任意識というものを醸成するためには不可欠なプロセスと言えます(もちろんこれらの当事者意識などは自然と生まれるものではないため、別途努力を要しますが)

さいごに、
このように、今までは散々変化への準備や希望が重要だと申し上げてきたものの、最終的にプロジェクトや変化への試み(東ティモールでの活動を通じて変化を起こすのは必ずしもプロジェクトといった体系のものだけではないと考えているため)を振り返ったときに成功の有無を左右するのは、当事者の主体性であると信じています(それは、未だ関与した東ティモールの人々の間で大々的に言えるような成果は出ていないためですが)。

途上国における現場での経験が多い人たちも、しばしばプロジェクトにおける当事者の主体性はプロジェクトの説明や現状報告をたとえしどろもどろでもNGOや役所の人ではなく、当事者たちの口からされているかを基準に測っています(参考 和田信明 中田豊一,2011「途上国の人々との話し方」 ,みずのわ出版

今回の気づきメモはここまでですが、今後も積極的に意見をシェアして行きたいと思います。
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ミクロレベルの方法論に対する気づき (3/4)

今回は前回の続きとして
変化への準備を生む上で必要な、
変化への必要性を共有していること
という項目について説明して行きます。

まず、以前も言ったように、変化への鍵は
・変化への希望が存在すること
・変化への準備が整っていること
ですが、ここでいう「変化への必要性の共有」は後者の変化への準備に含めています。
それは、たとえミクロレベルの変化とはいえ、個人ではなく組織になった場合は言論が重要な役割を果たすという考えによるものです。

例えば、個人の買い物や小型の売買に関しては、言論とはそこまで必要となりません。
それは、他者を巻き込むような内容ではなく、またその買い物・売買により問題が起きてもその責任はほとんどの場合で個人に帰するものであるためです。
しかし、組織だった変化や大型の売買を行う場合は、他者に相談をしたり、実行において他者を巻き込む性質のものがほとんどになります。また、責任の範囲も広まり、熟慮が必要になります。(参考ニール・ラッカム,2009「大型商談を成約に導く「SPIN」営業術」)
そのため、言論というのが必要になると考えられます。

なお、言論が始める際には、課題と認識されることなどきっかけが必要です。
また、日々の暮らしで個々の課題や欲求を認識することはあれど、それが組織における言論になるという機会はそんなにありません。
よって、それほどの視点を持ち、かつ影響を及ぼすことができる人物の助けがあります。
そのような人に対しては、必然的に変化に対しては友好的であることが求められます。
なお、そのような環境が整っていることはなかなかない為、
・影響力を持つ人に対して、課題や欲求を認識し言論を生んでくれるように呼びかける
・変化に対して友好的な人に対して、言論を生む場を設定するもしくは、影響力を高めるような試みをする
といった類の手段が考えられます。
しかし、これらは一朝一夕で済まされるものではなく、変化を起こす際には最も苦戦するステージになると考えられます。
しかし、当事者の声により言論を生む努力なしには、変化は起きないもしくは失敗に終わると強く考えています。
その理由に関しては、次回詳しく説明して行きます。

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ミクロレベルの方法論に対する気づき (2/4)

前回につづき、今回は変化を起こる状況にするにはどうするか
という部分について意見を記したいと思います。

前回は変化への希望と準備を同時に持つことが、組織を変革させるために
必要なのではないかと述べました。
今回の部分では、最重要項目として変化への準備を生むことを掲げたいと思います。

変化への準備とは、
・変化を許容できる経済的・社会的等の条件(マネジメント可能な資源)が揃っていること
・変化への推進役がいること(筆者のように外部が関与する場合は、変化に友好的な人がいるだけでも良し)
・必要性が共有されていること

最後の必要性の共有に関しては、変化への希望とほとんど被るのですが、
なぜ分けて論じていたか詳しくは後述します(ニュアンスとしてはここでの「必要性の共有とは」言論環境の有無を示します)

まず、1つ目の項目に対して、国や組織の体系に関係なく、世の中のどのような組織であれ
変化を望んだ時には資源をマネジメントする必要性があります。
逆に、マクロからの計画に一方的に従う場合や、目標や何らかの変化にも必要性を感じていなければ、資源のマネジメントは必要とならないかもしれません。
その組織における資源というものは短期に変わるようなことはほとんどなく、そもそもその資源の有無や多少といった面が課題となっているはずなので、必然的にそれらをマネジメントする必要があります。

しかし、その資源が変化を許容できる状況にない(もしくは不足)している場合は、変化への準備がされていないということになります。また、それらの資源に対するマネジメントができない場合も同じくらい準備がされていないということに当てはまります。

2つ目に、変化への推進役がいることに関しては、まず変化への取っ掛かりとしてキーパーソンとの関係性が重要であるというだけでなく、外部からの言いなりでやるのと、当事者の手で推進するのでは変化への効果において大きな違いがあるという考えから重要視しています。(参考 "MANAGING CHANGE" HARVARD BUSINESS PRESS)
また、次回述べるような変化への必要性が共有されている(言論を生む)といった状況を生む際にも重要となります。

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ミクロレベルの方法論に対する気づき (1/4)

はじめに
2月末から3月頭にかけて東ティモールへ滞在してきました。
最近、日本の企業であったり、この東ティモールの村であったり、
組織変革について人と話し合う機会があったので、東ティモール滞在中の気づきと含めて
メモに残しておきます。

変化が起こる状況とはどのようなものなのか?
私が思う変化が起こる状況とは、
・変化への望みが生まれていること
・変化への準備が整っていること
この現象が同時に整った時に起こると考えています。

つまり、もし変化への望み(日本人でもありがちな◯◯が欲しいであったり、就業時間を短縮したい)という思いがあったとしても、変化への準備(その人の懐事情、全体のプロジェクトの進捗やチームメンバーの繁閑事情もしくは業界・経済状況など自分の組織のみに限られない事情)というものが変化を許容するものでは無い場合、変化は起きません。
また、もし変化への準備があっても、変化への望みがない場合は変化が起きないか、失敗に終わります。これは国際協力の現場でよくある現象だと思われます。

次回は、変化を起こる状況にするための方法について記して行きたいと思います。
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根性とは結局何だったのか 2016.08.18

根性とは、結局何だったのか

今回述べていくのは、今迄の人生、特に仕事における「根性」の捉え方である。
安宅和人氏が「根性から逃げるな」という素晴らしいお言葉を言っている事が、
今迄ずっと頭の中に残っているので、今回の記事の材料になったことは間違いないのですが、
一つの自分の中での問いによって今回文章を書いているので、
氏の文章に関心のある方は、直接インターネットで検索していただいて、
僕の考えた頭の中に興味のある方だけ今回の記事をお読み頂ければと思います。

「根性」とは、僕の人生の中でもかなり貢献してきた概念です。(概念なのか、態度なのか)
野球部では、中学生時代には最後の夏の大会1ヶ月前に手首を骨折したものの、3日前に骨がくっ付いた事を確認し、(ギブスにより筋肉が落ちていたので)かろうじてグローブをぶら下げる事が出来ているという狂気の状態で試合に臨んだこと(こんな時に限って、6回くらい打球がきた笑)。
高校生の時には、根性で練習をし、毎日朝6時に家を出て22時に家に着く生活。
合宿で父母会がカレーなどを作ってくれた時には吐くほど(実際には吐いてからが勝負と同期と争っていた)食事をして、その後また練習。
結局、先に体が悲鳴をあげ、2回も腰椎を折り、今も分離症のままである。

また、大学受験では、塾に行くお金が無かったので、同じ参考書をひたすら勉強。
朝5時に起きて、22時まで、1日15時間くらい勉強していた。学校に通う時間すら惜しく、
先生の判断で3年次秋以降学校には行かずに、家で勉強していた。(実際に、僕の高校のレベルだと、これくらい勉強しなければ無理だったし、特に3年夏まで部活ばかりやっていた自分とっては、必死だった。結果としては、絞った参考書をどこに何が書かれているか頭の中に出てくるくらい覚えた結果、今の大学に滑り込めたのだが)

そして、なにより大学生になってから、2年次に休学をして、その年には毎週25〜30hの昼のバイト+45hの夜勤を繰り返し、復学後も学校に行きながら週合計60hのバイトを続けてきた。

このように、筆者はコテコテの「根性野郎」である。

しかし、「根性」では、今後の人生自分と同じような野郎の中でトップに立つことしか目指せない気がしたし、
言葉にするのは難しいが、今の延長線上にしかなり得ないと感じていた。

そんな事にやっと気づいたのは、就活を始めて色んな企業を見た1年前くらいからなのだが、
「根性」に頼る危うさを、気づいていない人が多くいるという事実に筆者は直面した。

「根性」は大事、でもそれだけ?

ベンチャーや中小企業のトップ達の言葉に、確かに僕も共感を得るし、
「マラソンを全力で走る心意気」などの話については、好んで後輩達に口にしてきた経験もある。

しかし、良くも悪くも、彼らにとっては、「根性」だけなのである(もちろん、すべての人では無い)。

確かに、根性が大事な時代はあったし、今も重要な要素になる世界はたくさんある。
僕が言いたいのはあくまでも「根性」が正当化される場所とされない場所があるということであって、
組織のトップが提示し、利用するオプションが「根性」だけなことに意見を出しているだけである。
そして、「根性」で色んな課題を乗り切ろうとしている人々に対して、別の世界の存在を見せようとしただけでもある。

過去のマニュアルレーバーという時代には、トップにとっての重要な項目は、いかに組織を統率して
効率的に動かすかであった。
そこでの、重要な指標は文字通りの「生産性」であり、それは適切なインプットをすれば、適切なアウトプットが出てくるという産業の構造に起因すると考えられる。
変な言い方をすれば、歯車の一つとして、ムダなく動いてくれればよかった。
そのための、統率に必要なものは、体力と態度であり、これらを奮起・管理するために、
「根性」を有効活用していった。
どちらも最低限ある前提で言えば、より重要なのは「頭の良さ」よりも「体力」であり、
日々の生活の過ごし方で望ましかったのは「本を読んだり、勉強すること」よりも「テレビや映画を見たり、カラオケ、飲み屋で時間を潰すこと(そして、ストレスを発散させること)」であったと考えられる。そして、それが現在も通用している分野もあれば、知的産業などではクライアントや社会に価値を提供するために、勉強や日々の研鑽などストイックさを求められる分野や職業も現れてきた。

このように、時代は変化している。というよりは主要な産業・職業の構造に変化がもたらされてきた訳であり、
近年の多くのベンチャーや中小企業では、ITやコンサルティングなど、労働集約型とは別の仕組み(ここで言いたいのは資本というか知識?に影響を受ける分野)を持つ企業が大半である。
にも関わらず、彼らが使っているのは、「根性」であり、マネジメント方法や働き方がアップデートされているとは言えない。

みんな「根性に逃げている」

結局このフレーズを使ってしまった(安宅氏の話を知りたい場合は「イシューからはじめよう」を読んでください)。
しかし、「根性」の行き着く先はなんなのか、具体的にいうと、
「根性」で失敗した仕事を失敗しないようにするには、さらに「根性」、これは要するに時間をかけるなどの話になり、ここまできたらもう無茶である。あとは、その従業員の「体力」と「気力」が耐え切れるかどうかの話である。

インプットとアウトプットの関係が見込める産業・場合においては、「根性」は効果がある。
要するにかけるリソースを増やすだけであり、そのインプットに対して、アウトプットは機械や時間の限界を除いて一定の範囲内で忠実に答えてくれる。
しかし、人に頼った仕事は、インプットとアウトプットのバランスが見極めづらい。

「根性」に頼らないためには

これからは全て持論である。

1.測定する

今の現状と何か変えるしかない、そのためにまず何ができるかといったら、
なんらかで定量化し、その数値を改善していくことである。

「何を数値にするのか」という質問に関しては、それは物事の種類によるし、
もし答えを出すならば、「限りなく全てにおいて数値を出す」である。

なぜなら、これを自分がやろうとした所で、結局出てくるのは2〜3種類の数値である。
数値化に時間が取られてしまっては、本末転倒だが、おそらく今よりは良い。

「根性」に頼る人に限って「成果」とか「勝率」とかいう。しかし、その「成果」がなんの要素によって
左右されるかはあまり考えられていない。

2.客観視する

これは、自分の中に優秀なマネジャー像の客観的な立場を持った人格を持ち、自らツッコミや問いをするみたいな笑


3番以下はこれから自分でやっていこうとするものである

3.事物をより高い次元で考える

今まで2次元で考えていたものを奥行きというか、3次元に近づけるイメージ。
具体的に言えば、戦略と戦術の棲み分けをしたり、その中で、さらに重要度を色付けするみたいな。

世の中の、多くの上司・マネジャーの立場にあるひとは、
戦術レベルではやけに大きな話をするものの、戦略レベルだと内容・幅が小さく、やけに稚拙である。
端的に突っ込むなら「それはあなたの立場が言うことではない」みたいな。
プレーヤーの思考の次元で人の上に立っている人が、多くの場合このような言動を行う。

4.先をみる

これが今回の記事のきっかけになった自分の中での意識の芽生えである。
戦術は組めても、戦略は組めていない人のように、それは想像力の欠如なのか、頭の悪さなのかは
わからないが、もっと先を見るという事を今後自分自身大事にしていきたい。

今の事をとりあえず(最悪「根性」でもなんでもいいが)乗り越えたとして、どうやって次のステップにつなげていくか。
どうバリューを高めていくかという問いをしていきたい。

自分自身の例で行くと、今は来年春の就職前にすごく勉強したいと焦っている。
しかし、この問いで言えば、勉強した先に何を戦略として持つか。
頭がただ良いだけでは、コモディティ化される。というか、東大生たちに単純な頭の良さで叶うかは難しいし、そこに時間をかけたみかえりがどの程度かを考えなければならない。
となったら、ただ勉強するだけではなく、何らかの色付けをしていかなければ、活かすことはできない。
英語も同じくである。たしかに、英語は話せれるようになりたいが、今のあと半年を使って語学留学にいくかといったら、どうせ入る会社の周りは帰国子女などがいるわけだし、なんかそれ意味無いよなという感じである。
まあ、実際にどうしていくかは、今後問ていくつもりである。

5.周りを見る

これはさっきのコモディティ化の話と一緒、
人間は能力を伸ばさなければいけないが、能力の伸び=それが市場価値の上昇
とはならない世界だと思う。
だとしたら、今後自分自身が時間を投資していく物は、周りを見て選んでいかなければならないはずである。



以上
まとまりの無い内容だったが、
前半は、今「根性」の世界観・美学しか持っていない人に対しての警鐘。
後半は、そのための具体的なアプローチと、仮説および今後の取り組み決意である。

何かしら参考になればと思うし、意見もどんどんください。

【応用編】「情報を扱うことについて」④ 「プレゼンテーション」を作る時に注意する点

1.なぜプレゼンテーションするのか?

これについては、大変難しい。
 なぜなら、プレゼンテーションとはだれもが、日常的に要請されるものではなく、また、時間効率的な観点から筆者自身はあまり重要視していないからです。
確実に言えることとして、プレゼンテーションに限らないですが、「情報を扱う」とは時間に比例して情報量が増えるものではなく、ある程度までは時間をかけるべきですが、程度を超えるとただ時間を浪費した感があるからです。
 そんなことに時間を使うくらいだったら、文章書いて一斉送信した方が時間効率的にはいい感じがしますし、そんな考えから、昔から僕のパワポは写真やグラフと1メッセージのみであったり、数色の色を使っている点と配置を工夫している以外ただの箇条書きであるような資料ばかりです。
これはシンプルであるという良い印象というよりは確実に怠惰なのですが、サークルの助成金獲得などでは数字やプランの見通しを2ページほどに詳し目に書くなど基本的に対象者向けに書いてはいました。

今回は、例えば提案って言っても提案にも先ほど言ったような助成金獲得や営業があったり。何かを紹介する場合も自己紹介や企業・組織紹介、他にも特定のテーマの紹介など多様すぎることと、今までのトピックと同じく、
その時の目的を考えて、それを達成するために作戦を立てよう
という点では変わらないため省きます。

2.どうやって進めるか、目的を達成するか
私のプレゼンテーションの進め方は、決めていることとしては
1)目次を作る
2)1枚の上に流れを書く
3)各ページに分けて、一番伝えたいこと並べる

が主な流れです。

この1~3はワードなどを使ってレポートを書く時にもやっており、そこからきているために
構成を組むではなく、「目次を作る」となっています。
ちなみに、その前提として無意識にですがやっていることがあることに今回気づき
0)メタ構想
と名付けておきます。

つまり、そのプレゼンの場を考え、受け手の視点を考えるということです。
特に、サークル時代によくやっていた助成金獲得や就職活動中のプレゼンテーションは、競争者がいるという点と、評価者がいるという点が明確なので、
相手(競争者、聞き手・評価者)の立場に立って設定することができるのだと思います。
どうやったら評価者の期待値を超えられるか、競争者と違う視点などを見せることができるかだと思っています。

なので、キレイなパワポ作りがプレゼンテーションの肝だと思っている人が、挿入する写真探しや色の調整、アニメーション作りに立っている一方で、
構想の仕方+若干の見栄えで戦ってきました。最悪、プレゼン作りが上手い人に任せてきました。

実際の各工程での取り組みですが、
1)目次を作る
では、単純な起承転結みたいなよくある枠組みの余白に各ページのタイトルを書くという単純な作業です。
なんのためにプレゼンテーションしてたかの再確認→実際どんなタイトル、流れで話すのかの確認です。

2)1枚の上に流れを書く
では、プレゼンテーションの長さによりますが、全部で1枚であったり、目次の上での各パートにつき1枚を使い流れを書いていきました。
ここで注意していた点は「ロジカルか?」という点で
・各タイトルで「目的が明確か?」→「達成できているか?」
・全体を通じて主張・目的にズレがないか?
・ちゃんとそう言えるか?
・終わり方が「だから何?」となっていないか、パートを通じて全てのページが存在意義を持っているか、一貫しているか

という点を見ていきます。

3)各ページに分けて、一番伝えたいこと並べる
 ここやっとパワポを立ち上げて、各ページ作成していきます。
しかし、よっぽど紙の段階で絵コンテのような感じで完成していなければ、一番伝えたいことを並べて書きます。

これで、一度資料作りは終了です。

なぜかというと、この後、一回実際のプレゼンテーションを想定して最初から最後まで読み進めていきます。
そうすると、新たなメッセージや欠けている情報などが浮かんでくるため、それをメモするなり、資料に組み込んでいきます。

これらを時間の許す限りやることによって、プレゼンテーションの練習までできて、かつロジックが大きくずれることがないように資料をつ来ることができます。