K's desk

サークルの後輩、インターン先の同世代社員などに情報を財産として残せたらなと考え開設しました。玄人というよりは、事業をこれから行う人とか知的産業に今後関わっていくとかまだ頭に汗をかいていない人が、壁にぶち当たった時に読んでもらえればと思います。将来の自分に向けて、余裕ができたらマインド的な部分で自分が何を考えていたのかなども残せればいいですが、基本的には他者に公開する必要性がなければevernoteなどに保存しているので、ここで公開されている記事は誰かしらのニーズに応じて書いている内容になります。

社内のヒエラルキー下位がやるべきこと

自分がなかなか認められないと思ったときに、いろいろな考え事をするが、
今回は昔休学中に働いていた会社の時代を思い出した。

当時は社長からなにをやっても怒られるという状況だった。
その時の気づきが今の自分に刺さったため、こちらに記していく。

簡潔に言うとこのような内容である
・常に、話し合いでは立場の上の人の方が有利である
・特に相手の土俵の場合は、ほとんど勝ちの見込みはない
・しかし、相手の土俵以外では、勝つ見込みは少し増える
・自分の土俵(かつ相手も関心のある範囲)を作る
・その土俵で相手に借りを作る
・ひとつの土俵では自分が立場が下でも、ほかの土俵で自分が上に立つ
・全体的に立場が対等になる

ここからの学びとして、今入った会社において、相手と同じ土俵で戦っていては
おそらく勝つまでに数年かかる。
しかし、相手がまだ得意としていないフィールドにおいて知識や経験を
積むことによって、今までよりも立場は対等になる。
勝つことまではできなくても、今よりも認められるようになる。

このような感じかな?
とりあえず、自分的にはすっきりしたので、強みの分野を見つける。
幸いテクノロジーの会社なので、取り組むべきテーマはやまほどあるし、新しいものも
どんどん生まれている。
まずはこっから一ヶ月頑張る。

5年先を見れているか-初心に関して

ビジネスにおいて、日々スピードが求められている。
また、全ての人々が質と量において、日々どちらをとるか日々究極の選択を迫られているはずである。

マネージャーにとって、管理できるのは定量化された観点からの指標である。
そこで、人々は「量を追求し、その経験を質に昇華する」ことを求められる。

では、本当にこれが近道なのだろうか?

いま考えているのは、5年先を見て働くことだ。
一般的に、ビジネスにおいては年々やることは変わる。
アシスタント的役割から、自分主体になり、その後マネジメントを経験する。
日本の組織の場合はとくにこのフローが顕著である。

この観点において、質と量の重要さを改めて考える。

先輩の話によると、量を重視した人は、昇進は早く活躍しているように感じられる。
しかし、ひとつ上がったポジションの中で、変化する役割に対応できずまた悪戦苦闘を繰り返すのである。

このように、常に気合で望むことは素晴らしいことであるが、それを避けることは可能なのだろうか?
もし、今の段階で質を追求していけば、量ではあまり目立たなくても、静かに活躍することはできないのだろうか?

ここでいう、質とは、ひとつ上の段階の人がになっている役割をすでにできるようにしておくことである。
とは言っても、まだまだあまりにも具体案に落とし込めていないので、中途入社の人専用のトレーニングメニューを
のぞきつつ、まずは意気込みだけでも上のポジションと対等になれるようにしていきたい。

通用しなくなる瞬間と乗り越えられるかの分岐点について

4月の入社から、早くも2ヶ月がたった。
簡単に振り返ると、今までの人生で経験したどの集団よりも
周囲のレベルが上がっており、ちょっとした焦りを感じているといった状況である。

新しい仕事に取り組むこと自体は、最初からできるわけではないため、そこまで焦りを覚えるようなことはない。
しかし、周囲のレベルの高さに関して言えば、自分個人の問題ではないし、知識の定着などといった短期間で解決できる問題でもない。

入社以降、長いあいだこのような、自分の「通用しなさ」にネガティブな印象を抱いていた。
では、今まではこのようなことがなかったのだろうか?と振り返ってみたのが今回の記事の内容である。

新しいことは結局通用しないことがほとんど。必要なのはどうやってEnablementするか

ホテルマン時代を振り返っても、結局はキャプテン職についていたが、最初は一日に三回もどなられるような、結構危ういキャラだった。結局時間が解決してくれたきがする。

というわけで、「通用しなかった」というのは、悩みの種になったけど、基本的にはあたりまえのことだったのだ。

他にも、人事コンサルティング時代の経験も振り返りに記しておく(将来また新たなことを開始して、「通用しなさ」に悩んだ時のために . . . )

私がコンサルティング会社に入ったとき、基本的に顧客は既存のお客様であった。
だから、実際私のような、学生がアシスタントをやってもなんとか仕事にはなったし、正直そんなに頭を振り絞ることはなかった(事実、ホテルの仕事で夜勤をやったあとの朝から夕方まで働いていたし)。

そんな中でも、新規の顧客を獲得するための提案に携わった瞬間、案件数は少ないのに、一気に忙しくなった。
そして、頭の疲労度が一気に増えるようになった。
特に官公庁の案件に関しては、提案のネタも少ないし、参考にできる資料が全くなかった。
これも「通用しなかった」瞬間としては苦しかったものの、楽しめていた。
なにが違うのだろうか?

今考えられている答えとしては、組織に馴染んでいることである。
「通用しているか否か」といった観点では、今までにも何回か経験している。
しかし、その中でも焦りを感じたときと感じていないときが存在している。

それはおそらく、「組織での振る舞い」が身についており、「適切なサポート」を受けることができることが重要となったのだろう。
また、ある程度自分自身で仕事をコントロールしたり、自分のやり易い環境というものを作れていたはずである。

一方、ホテルなどでは、そこまで向いていない仕事ではなかったにも関わらず、不安を抱いていた。
それは、組織に入りたてで、自分らしさが持てていなかったためである。

今も同じ状態だと感じている。
まずは、自分らしさを確立させることを目指したい。
そのアクションについては、追って考えていくつもりである。

知る力と考える力(10分で書くブログ)

このブログは、10分で自分の思考をまとめるというテーマで書いたものです。
まだまだ不慣れで、投稿の質が低いかもしれませんが、どうかお付き合いください。

テーマ:「知る力と考える力」
1)要するにこんな感じ:
2)Why So?:
3)So What?



1)要するにこんな感じ:

高めやすい力は「知る力」、短期的にステップアップしやすく、指標を定めやすいため。
一方で、「考える力」は明確な変化が少なく、そのため継続して行っていくことが困難。もしくは漠然としがち。
しかし、簡単に力をつけやすいものは、役にたたなくなるのも早い、もしくは他人も力をつけやすく、
優位性を発揮・維持しづらい。
このように、「思考能力」「頭の良し悪し」のように一言でくくるのではなく、2種類の異なった能力として判断する必要がある。


2)なぜそう感じた(→できればWhy So?まで):

現在、新入社員一年目で研修の真っ只中であり、そこで求められる事の目標の立て方にもやもやしたため。
求められているのは大きく「業務の対象となる資格の取得」と「社会人基礎能力の形成」。
しかし、自分が日々何を学んでいるか、定量化することが難しいことに気づく。
結果を出さなければいけない中、自分の現在地をしっていないことは、かなり不利。
学生のように、自分のペースで成長すればいいのではなく、求められたものに対して、少しでもストレッチしつつ対応する必要があり。

よって、まずは「知る力」、「考える力」を区別する。

具体的には
「知る力」=答えがある、指標が明確(点数、資格の合格不合格)、時間とある程度成果が比例する、
これらから、重要視すべきは効率と如何に記憶の定着を促すか。戦略を立てやすい。

一方「考える力」=地道、成長が測りづらい、時間が経てば伸びる力ではない
よって漠然としたものとしがち。
近道としては、フレームワークなど考える力に優れた人に思考体型を合わせることがひとつの対策。
しかし、これまた理解能力と表現能力は別のスキル(インプットとアウトプット)のため、
個々で伸ばしていく方法を深堀していかなければならない。


3)So What?

単純に「頭の良さ」という切り口で見ていては、1年後の自分のスキルディべロップメントも考えられないということ。
私にとって今年最も重要なのは「今後10年以上第一線で戦っていける能力を如何に早く身に付けるか」
20年後の能力はもっと高い水準のものの、まずは社会人10年目の人くらいの「知る力」、「考える力」を一年目に
付けるにはどうすればいいのか。
「頭の良さ」

・「知る力」
・「考える力」
に細分化



本来は今後の行動指針まで立てるべきだろうが、10分のアラームがなったので、いったんここまで。

【追記】2017/04/16/12:03
まず土俵に立つには「知る力」も「考える力」も必要。
本当はもっともっと言語化したい事項があるんだけど、そこまで余裕がない。
研修は時間通りに終わるから、研修だけこなすなら余裕あるんだけど。笑

ミクロレベルの方法論に対する気づき (4/4)

前回の続きとして、なぜ私は本人たちの言論により変化のきっかけを生むことを
最重要項視しているかに関して説明して行きます。

ここでは、私の東ティモールでの活動の経験をベースにしているため、
他の組織には当てはまらない点が多くあるかもしれません。

まず、最も外部から支援として行う組織(私が属すグループでは支援というアプローチの失敗から人材面や文化面での交流など関係性を重視した活動にシフトしています)が起こしがちな過ちとして
・日本人が持っていくプランはしばしば複雑で難解である
という問題があります。
プランを完璧にしようとして、細かく練れば練るほど、それらを当事者たちに伝えることは
難しくなります。
また、ありがちな課題としてそもそも
・言語面や文化面でコミュニケーションが完璧にはならない
と言ったものがあります。程度の差はあれど、日本で日頃生活している際の会話のレベルで
それぞれの意思の伝達を行えていることはないと思われます。

以上の要因により、当事者たちにより必要性を認識し、言論をはじめ、変化へのプランを
立ててもらう方が、プランの実行までの時間は多くかかるかもしれませんが、確実に
実行がスムーズに行ったり、後から気づく意思伝達の齟齬も生まれないはずです。
また、当事者意識や責任意識というものを醸成するためには不可欠なプロセスと言えます(もちろんこれらの当事者意識などは自然と生まれるものではないため、別途努力を要しますが)

さいごに、
このように、今までは散々変化への準備や希望が重要だと申し上げてきたものの、最終的にプロジェクトや変化への試み(東ティモールでの活動を通じて変化を起こすのは必ずしもプロジェクトといった体系のものだけではないと考えているため)を振り返ったときに成功の有無を左右するのは、当事者の主体性であると信じています(それは、未だ関与した東ティモールの人々の間で大々的に言えるような成果は出ていないためですが)。

途上国における現場での経験が多い人たちも、しばしばプロジェクトにおける当事者の主体性はプロジェクトの説明や現状報告をたとえしどろもどろでもNGOや役所の人ではなく、当事者たちの口からされているかを基準に測っています(参考 和田信明 中田豊一,2011「途上国の人々との話し方」 ,みずのわ出版

今回の気づきメモはここまでですが、今後も積極的に意見をシェアして行きたいと思います。
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ミクロレベルの方法論に対する気づき (3/4)

今回は前回の続きとして
変化への準備を生む上で必要な、
変化への必要性を共有していること
という項目について説明して行きます。

まず、以前も言ったように、変化への鍵は
・変化への希望が存在すること
・変化への準備が整っていること
ですが、ここでいう「変化への必要性の共有」は後者の変化への準備に含めています。
それは、たとえミクロレベルの変化とはいえ、個人ではなく組織になった場合は言論が重要な役割を果たすという考えによるものです。

例えば、個人の買い物や小型の売買に関しては、言論とはそこまで必要となりません。
それは、他者を巻き込むような内容ではなく、またその買い物・売買により問題が起きてもその責任はほとんどの場合で個人に帰するものであるためです。
しかし、組織だった変化や大型の売買を行う場合は、他者に相談をしたり、実行において他者を巻き込む性質のものがほとんどになります。また、責任の範囲も広まり、熟慮が必要になります。(参考ニール・ラッカム,2009「大型商談を成約に導く「SPIN」営業術」)
そのため、言論というのが必要になると考えられます。

なお、言論が始める際には、課題と認識されることなどきっかけが必要です。
また、日々の暮らしで個々の課題や欲求を認識することはあれど、それが組織における言論になるという機会はそんなにありません。
よって、それほどの視点を持ち、かつ影響を及ぼすことができる人物の助けがあります。
そのような人に対しては、必然的に変化に対しては友好的であることが求められます。
なお、そのような環境が整っていることはなかなかない為、
・影響力を持つ人に対して、課題や欲求を認識し言論を生んでくれるように呼びかける
・変化に対して友好的な人に対して、言論を生む場を設定するもしくは、影響力を高めるような試みをする
といった類の手段が考えられます。
しかし、これらは一朝一夕で済まされるものではなく、変化を起こす際には最も苦戦するステージになると考えられます。
しかし、当事者の声により言論を生む努力なしには、変化は起きないもしくは失敗に終わると強く考えています。
その理由に関しては、次回詳しく説明して行きます。

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ミクロレベルの方法論に対する気づき (2/4)

前回につづき、今回は変化を起こる状況にするにはどうするか
という部分について意見を記したいと思います。

前回は変化への希望と準備を同時に持つことが、組織を変革させるために
必要なのではないかと述べました。
今回の部分では、最重要項目として変化への準備を生むことを掲げたいと思います。

変化への準備とは、
・変化を許容できる経済的・社会的等の条件(マネジメント可能な資源)が揃っていること
・変化への推進役がいること(筆者のように外部が関与する場合は、変化に友好的な人がいるだけでも良し)
・必要性が共有されていること

最後の必要性の共有に関しては、変化への希望とほとんど被るのですが、
なぜ分けて論じていたか詳しくは後述します(ニュアンスとしてはここでの「必要性の共有とは」言論環境の有無を示します)

まず、1つ目の項目に対して、国や組織の体系に関係なく、世の中のどのような組織であれ
変化を望んだ時には資源をマネジメントする必要性があります。
逆に、マクロからの計画に一方的に従う場合や、目標や何らかの変化にも必要性を感じていなければ、資源のマネジメントは必要とならないかもしれません。
その組織における資源というものは短期に変わるようなことはほとんどなく、そもそもその資源の有無や多少といった面が課題となっているはずなので、必然的にそれらをマネジメントする必要があります。

しかし、その資源が変化を許容できる状況にない(もしくは不足)している場合は、変化への準備がされていないということになります。また、それらの資源に対するマネジメントができない場合も同じくらい準備がされていないということに当てはまります。

2つ目に、変化への推進役がいることに関しては、まず変化への取っ掛かりとしてキーパーソンとの関係性が重要であるというだけでなく、外部からの言いなりでやるのと、当事者の手で推進するのでは変化への効果において大きな違いがあるという考えから重要視しています。(参考 "MANAGING CHANGE" HARVARD BUSINESS PRESS)
また、次回述べるような変化への必要性が共有されている(言論を生む)といった状況を生む際にも重要となります。

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