財産を残す使命
[メッセージ]
ブログを書く使命感
筆者は、もともと、文字を書くのは好きな方である。
しかし、じっくり文章を書く場合はもっぱら仕事上であって、個人で書く場合は自分のためだけに文字を書いてきた。
それがどうして、今回このようにブログを開設したのか、
それは、
僕個人がキャリアの上で担うことを求められる使命によるものである。
ちなみに、ここでいう使命とは学説で認められているとかそんなもんではないが、
人々のキャリアがこうであるという実態ではなく、こうありたいという意味で
ここに掲げておきたいと思う。
今、この時点の人生で、僕がやるべきことは、
- 今よりバリューを発揮できる他の組織に求められるように研鑽を積むこと
- 今いる組織に自分がいなくなっても、組織が回るようになること
である。
つまり、ジョブホッパーという訳でもないが常に企業内、企業外労働市場において、需要がある人材となり、いくべき場所へ行けるようなキャリアを築くことで僕の人生で求められているものだと感じている。
とはいえ、日本はもっぱら「終身雇用」、「年功序列」、「企業内労働組合」の枠組みから逃れることができていない
日本型雇用慣行の社会である。
これらの「3種の神器」がそろえることができている企業が減っていき形骸化していく一方で、
ゲマインシャフト型組織というマインド面ではまだこの枠組みから日本は逃れられていない。(これはこれで価値があることなので、批判している意味ではない)
こんなキャリアの持論を記述すると、一つのことをコツコツ積み重ねる人たちにしかられてしまいそうであるが、
少なくとも、「学生団体」という世界の中で、
とある国の国づくりであったり、人材面での発展に寄与しようと努めていた筆者にとっては、
同じ組織で、一つのことを最後まで続けるという日本的美学よりも
より高い高ーい視点に立っていきたいと思う。
自分とか周りの狭い範囲だけでの美学では世界は変えられない、
もっと信念で周りを巻き込んで、
周りに批判されても、それが社会を良い方向に向かっていくのであれば意地でも続け、
「もうちょっとで君もわかってくれるはずだって」とロマンで周りを巻き込んでいく
そんな泥臭い生き方がしたい。
ロジカルなだけでは、新しいことは規定も実行もできない。
どこかでロジカルをぶち破る取り組みでもしないと今までの世界は変わらない。
一所懸命ではありたいが、一生を一つの場所に捧げたいとは思わない。
ソーシャルリターンを最大化するためには、狭い世界にいつまでも止まっていてはいけない。
今いる環境が狭く感じたら、すぐに次の場所に向けて飛び立つ準備をしていかなければいけない。
あと半年で、この団体を旅立つ自分と、
将来旅立つ後輩たちへ
僕たちはいまある現状で満足したくはない、そのためにまず僕が新たな社会に飛び出して、そこで活躍したいと思います。
将来いつか点と点がつながることを祈ります。
ということで研鑽をつんでいく一方で、財産を残していく。
こういう使命感でいまブログを書いている。
ネット上に文章を残そうと考えた理由
~~このタイミングで文章をネット上に書く理由
[メッセージ]
まず、筆者の自己紹介から始めたいとおもう。
この記事を書いた時点では、大学四年生で就職活動を終え、内定状態である。
このブログでは、そこまで今後のキャリアの展望であったり仕事のことを書いていくつもりはあまりなく、
今までの経験の棚卸し程度に見ているので、未来のことはあまり書かないつもりである。
日々感じたことの記録は、自分のみに残るようにevernoteに残しているが、
もし、日記的活用をしていく場合はまた新たなブログページを開設するだろう。
ただ、一部学校で学んでいるテーマに関しては、今後卒論を書き進めていく上でエントリーを公開するかもしれない。
そういうスタンスのブログである。
その他の経歴に関しては、
このブログのきっかけとも繋がるが、大学時代継続して活動を続けてきたサークルがあり、
その団体での活動の中で様々な苦悩をし、個人的に成功したことは何もないんじゃないかと思うくらいの日々を過ごしてきた。
実際には、活動内容もどんどん形を変えど深まったものとなっていき、助成金も幾つか獲得できる経験が出来たことは、
自らの財産となる経験として、貴重な成功体験になった。
また、最も団体の成長を表す現象として、もともと4人とかその程度であった団体規模も30人前後(正確な数字はよくわからないが、常時ミーテジングに参加するメンバーでこれくらい)となった。
その一方で、同じ失敗を繰り返しているなーと
つい、嘆いてしまうように、組織運営というものは難しいのである。
メンバーから聞こえる
モチベーションが上がらないであったり、
やりたいことができないであったり、
何をやったらいいかわからないであったり。
そして気がつくと今後は
忙しすぎる。
というなど、無償で参加、むしろ会費を払ってもらっている学生にこんなことを求めるのも申し訳ないが、
僕から見たら、毎年毎年同じ出来事が、少し姿を変え訪れることにうんざりする。
しかし、これは僕がまだまだボンクラで、きっちり問題を解決しきれていなかった証拠でもあろう。
1ができないのに、10をすることはできない。
「ここで得た経験、感じた苦悩は将来ずっと生きると思います」
こんな綺麗事で僕の学生生活を締めてもいいのだが、それだと財産を残せたことにならない。
将来をしっかり生きるには、今与えられた役割、課題をしっかり解決しなければならないだろう。
僕の言っているサークルというのはつまり「学生団体」というカテゴリーだが、
「学生」だからって社会人たちに活動レベルで負けるつもりはまったくない。
今後も発展する組織を築くために、
成功したこと、失敗したこと、参考になること
こんな感じの情報を価値があるかないかはわからないが、財産として残していきたいと思う。